城が一望できるマンション。
僕は好きです。
「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれることもあるが、
豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣大坂城)の遺構は現在ほとんど埋没している。
現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は
徳川秀忠が実質的な新築に相当する修築を施した大坂城(徳川大坂城)の遺構。
1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などもすべて徳川氏、江戸幕府によるものであることが判明。
かつて、この地のすぐ北の台地下は淀川の本流が流れる天然の要害であり
この淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。
この大坂は、西日本を押さえるにも優れ、『信長公記』によると信長はこの立地を高く評価していたため、跡地にさらに大きな城を築く予定であったという。
「千貫矢倉」もあった(『細川忠興軍功記』)が信澄は本能寺の変の際に
丹羽長秀に討たれた。
その後、清洲会議で池田恒興に与えられるも、ただちに美濃へ国替えとなり
秀吉によって領有された。
そして秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが
秀吉の子、豊臣秀頼の代に大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。
徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め再建した。
その後、江戸幕府が大坂城代を置くなど近畿地方、および西日本支配の拠点となった。
文献等にもよるが、日本三名城のひとに数えられる場合もある。
(他の二つは名古屋城、熊本城があげられる場合が多い)
現在は江戸時初期から後期にかけて建てられた櫓や門、蔵など13棟が現存し
城跡は710,000平方メートルの範囲が国の特別史跡に指定されている。
鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)構造によって復興された物であるが
現在登録有形文化財となっており、博物館「大阪城天守閣」として営業している。
ちなみに、「おおさかじょう」の表記についてであるが
現在は「大阪城」と表記することが多い。